一月ぶりの日記とGWの祖父の旧友との対談

おいおい、三階生はんぱねぇよ・・・

なんだよこれ

発狂しそうなくらい忙しい。

なにがってもう、レポートがね・・・

毎週実験があって毎回レポートが課せられるんだけど、これがもうマジキチ

四月終わりからのスタートでかれこれ四回実験が終わったんだけど

流体力学、材料科学、材料力学、制御工学ときてて

はんぱな理解度じゃ追いつかないのね、これが・・・

追いつかないってのは理解できない、わからないってだけでなくて

レポート受け取ってもらえないっていう点でね

ずさんなものかけば、再提出ですよ

かなり頑張っても再提出ですよ

再提出は一週間後までになるんだけど、実験のペースは変わらんから

雪だるま式にれぽーとが増殖していくわけですよ

てめーの頭がわりいから、そうなるんだろう

って意見もあります、まぁそれは否定できません

たしかに俺は頭が悪いから

しかし、実験グループが半分ないしは三分の一が毎度再提出くらいこの現実は如何ともしがたいのではあるまいか

そういうわけでね、毎回レポートがあって、まぁもちろん実験のレポートだけじゃないってのがミソなんですが

土日なんてね、土曜日はそれまでの疲れが募って、半日寝てしまい、そこから日曜日にかけてレポートやらやって

それでも終わらないから月火水と残ったりしてなんとか期日までに間に合わせると言う日々ですよ

何か手をつけてないと後ろめたい気分になる有様ですよ

夢でもレポートやってる有様ですよ

もう、心が折れてしまいそうだわ・・・

というわけでね、大学院とか行く気だったけど、もういいんじゃない?

この苦しみからとりあえず逃げたいよ

結構必死にやってんのに評価されねぇわ、再提出くらいわ

もうね・・・マゾかと・・・

ちゃんと理解できそうだなーというところまできて次の実験ですからね

二週間ごとにしてほしいよね、そうすればだいぶ変わると思うんだよね

しかもねテストもあるんですよね

うちの学校

テスト期間ってのがないもんで

問答無用でスケジュールが進んでく訳ですよ

わかりにくいと思うけど、教授の独断というか裁量でテストの日決めちゃうので

実験と日が被ってるとか

そういうのは考慮してくれないわけね

というわけでね今テスト前なんですわ

そしてレポートもあるわけですわさ

苛々するよねー

社畜にすら今ならなってもいいと思えるもの

だって彼らは給料もらえるじゃん!

とかいう訳の解らない思考にまで陥ってる有様ですよ

まじで休みがあるってのが羨ましいわ・・・

休みっていうより朝寝てても大丈夫な日だからな。。。今の土日




でもって、さらに色々とまいってるってのが

五月のはじめから祖父が心筋梗塞で入院してましてねー

それのどたばたで忙しかったのですなァ・・・

まぁ無事今週退院できて、今は自宅療養という感じになってますが

それまでが忙しいの何の

婆がクソもらしまくったりするしな・・・

トイレの水逆流させたりもするしな・・・

入院の世話って感じで車で毎日のように病院いったりきたりという感じで

まぁ二日に一回でもよかったのですが、割といつお迎えがっていう感じのところだったので毎日行ってたわけです

幸いに安定してきたので、今はいえでおとなしくってことになってますが

ぶっちゃけしんどかったね・・・



かなり覚悟というか、そういうものを考えさせられたってところです

身内の死とか友達とかの死を一切経験してないもんで、結構あせるもんです

しかし今際の時ってなると、人望のある人にはやっぱり人が見舞いにきてくれるもんで

勤めてた会社の人やら旧友やら結構な方々が祖父の見舞いにきてくれまして、いやぁ仁徳ってのは凄いもんだなと感心してたところですわさ

会社はまだ知らんけど、死ぬまで付き合える友達はやはり持っておくべきだろうなと思うね。やっぱり

友達多いとかいう自慢より十年単位で付き合えるやつがいるかいないかが大事な気がしますわさ

んでもって当初GWに行く予定だったという野球観戦に祖父の旧友氏と僕で行ってきました

代役ですわな

色々ぼくも予定があったのですが、時期的に祖父がかなりやばいところで、代わりに行ってきてくれと頼まれたので、そこはやはりということで

行ってきました

初対面だったのですが、電話では何回か喋ったことがあったので

朝から晩まで年の差60以上ですが、仲良くやりました

見舞い→野球→晩飯というルートです

かなり色々経験豊富で知識すごい人なので、ためになる話が聞けて良かったですね

割と僕は古風というか昔の考え方なので、80越えた人とは気が合うんですよね、昔から

なのでかなり楽しく一日が過ごせた日でした

野球も勝ちましたしね、中日

晩は、かなり高い料亭(なのかな)で食事しまして

まぁこれは奢ってくれると言うので、いった次第なのですが

二人で三万弱っていうね・・・

びびるわ

何が高いって、お酒をかなり召される方でしたので、付き合って僕も飲んでたらこれが値段かさむかさむ・・・

僕もまぁそこそこ強い方なのですが

本物のザルはやっぱり段違いでしたわ・・・

ビール飲むような勢いで日本酒開けるもんだから、やばいやばい

しかしまぁ初めに付き合いますよといった手前、やはりペースはあわせておこうと思い

僕も同じペースで日本酒がばがば飲んでまして

それがまぁ三時間くらいですが、あと一時間あったら、もう完全にやばかったですね

でも相手の祖父の旧友氏は顔いろ一つ変えないので、こりゃかなわねぇと思った夜でした

いや、ほんとにザルは凄い・・・・・・

食事のときの話題は主に戦争に関することで

旧友氏は大戦の時、航空兵として訓練を受けてまして、出撃にはならなかったのですが、兵隊として経験のあるってことでして

そのあたりのことを聞いておきたかったのですね。

というのも大戦の時代を生きた人がもういなくなっちゃっていってるので、僕は歴史には浅いのですが、ちゃんと聞ける時に聞いておかなくてはという思いがあったので、酒の勢いを利用して、かなり詳しく当時のことを聞かせてもらった次第です。

あとは国を立て直した世代としての今の人に対する意見とかそういうのかな

戦後の兵隊だった者を見る目が辛かったっていう話がありまして

短くするとこういうことなんですが

戦中、兵隊になった時は村で誇らしげに送ってくれ、賛辞の嵐で

お国とか、国民を守ろうと思って兵隊になって

厳しい訓練して、友達何人も死んで行って

ようやく敗戦を迎えて、なんとか生きて帰ったのに

待ってたのは、非難と軽蔑で、とにかく人は冷たかった

何のために僕らは戦ってたのか、解らなくなった

あれだけは、ほんとに、すごく悔しかったです

―――腹は立ちませんでしたか?

怒りより、ただただ悲しかったです。


という話でして

これはやっぱり凄くびっくりしたなぁ・・・

聞いた時点で言葉は予想はしてたけど、生の声の重みはとてつもなかった。

何かこみあげてくるのもがあったなぁ・・・



他には、天皇万歳とか、御国のため っていうような思想的な洗脳についてもちょっと聞かせてもらいました

―――洗脳されてたとかっていう人もいますけど、そういうのはありましたか?

洗脳は・・・されてたのかもしれないですね

―――天皇様のためなら死ねるというのですか?

いや、それはありませんでした

ただ神様だというのはありましたが、天皇様のために何か というのはなかったです。

兵隊になったのも家族とか、国を守ろうと思ってのことで、天皇のためというのは考えていませんでした


戦争が正しかったとかそういうのは解らないとも言ってましたね

でもそれは、あまり思い出したくないという感じでした

帰って来てからの方が嫌な事が多かったみたいです。

戦争について知ってもらいたいとかいうのは無いみたいですね

でも知らないっていう子がいるのは嫌みたいですね

あと自分の若いころと比べて明らかに今の子が礼儀がなってない、ってのは憂いていました

やっぱりそういうのあるんだろうなぁ

僕は今の時代的には右よりの思想なので、そういうのが解ってもらえたのか結構つっこんだ本音のような話も聞かせてもらえました

旧友氏も祖父も立てに立てまくってたってのもあるのかもですけどね

あの時代の人はやっぱり今の日本を築いた人たちなので、尊敬しますね

僕が会った人が凄い人が多いのかもしれませんが、古き良き思想をもってるというか、礼儀が段違いにあるんですよね

僕みたいな20そこらのガキ相手にでも、丁寧に対応するところはする みたいな感じで

なんだかすごいなァと思いましたねぇ・・・所作がやっぱり違うんですよね



ちょっと気恥かしいですけど

あの年代の方が、文字通りに命をかけて繋いだ未来が今で、守った命が僕らの世代なのですが

それだけ懸命に頑張った結果が、酷いものだったら、報われないと思うんですよね

さっきの話みたいに「何のために僕らは戦ってたのか・・・」なんていう思いは二度としてもらいたくないです

子の為、孫の為、大国と戦って、懸命に働いて、それがコレか・・・とか悲劇じゃないですか、あんまりじゃないですか



バブル世代の母が「じいちゃんの年金の額ってうちの月収より多いのよ・・・税金とかで引かれてなかったらうちのが多いんだけどね」

「これでもかっていうくらい税金ひかれるから、困ったもんだわ」

「あんたも働きだしたら嫌になるよー」

なんていうことを言ってまして

「今の会社とか作って、高度経済成長させて、安定した国にした世代に渡す年金を渋るとかないだろ、今の生活があの世代のおかげなんだから、まだ足りないってことはあっても、あげすぎなんてことは無いでしょ」

「だから母さんの世代は税金の行き先がまだあの世代だから良いと思うわ。嘆くのは俺らの世代だわ、戦争世代の遺産食いつぶしたバブル世代にまだ吸い取られるんだから」

と返したら

「硬いなぁ・・・」と言われまして


やっぱり世間の風潮はそちらに動いてるんだろうけど

僕は戦争世代の人が悔しい思いをするのはもうやめにしてあげたいですね

彼らに恥じないような人になりたいものです


なので原爆の悲惨さよりあの世代の努力とかそういうのをもっと知るべきなんだと思うなぁ

靖国とか僕の友達とか知りもしないって奴多いし、そういうの聞くとあの世代は多分悲しくなると思う。それを聞いて良い気は絶対しないだろう

だからちゃんと話を聞いて、礼儀を尽くして、知る努力をするのは後の世代として行うべき義務だと思うなァ

まぁこういうの言うと戦争肯定だの何だのって絶対叩かれるんだろうけどな

享受するだけでいいのか?っていう疑問は持つべきじゃないかなぁ



話が逸れましたが、そういうことを色々話しまして、考えさせられた日でした。

会ったのは初めてだけれど、いい孫だな、酒もいけるし気が合ったので遅くまで話したよ とのちの祖父あての手紙に書いて貰えて、やっぱり気持ちは伝わるものだなと思いましたねー